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気づきのキャリア(14) インテルからの卒業


先月で、21年勤めたインテルを退社するにあたり、これまでの挨拶文とキャリアをまとめたメールをつくり振りかえってみました。

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 卒業メッセージ

このたび、インテルを卒業することを決めました。公にご報告させて頂きます。

1994年01月に入社したので、約21年間を、インテルで過ごしました。

お世話になった社内の皆さん、OBの皆さん、パートナーの皆さん、本当にありがとうございました。

ということで、インテル人生について振り返ってみようと思います。ご関係者の皆様には突然のご報告となり申し訳御座いませんが、この度インテルを卒業する運びとなりました。思い返すとキリが無いという言葉が薄っぺらく思えて仕方無い程、この21年は濃いものでした。

送り出してくださったインテルの皆さんと、またすべらない面白い話しをし合えるよう、「継続は力なり」を忘れずに進みます。

◆なぜインテル入ったのか?

私は、新卒でJSR(当時日本合成ゴム)に入って8年、国連のUNESCOに2年いて、インテルに中途入社しました。

入社前のイメージは、IBMの55ノートを使用していたので、インテルってPCの部品を作っているなぁというのと、つくばのグローバル仕様の近代的なオフィスでのんびり働けそうというイメージを持っていました。入社動機は、3つほどあって、①つくばの経理採用だったので、環境がよかった。(すごく田舎だった、ファミレスもCOCOSしかなかった)、②会社のオフィスがきれいで、はじめての外資系で広かった。UNESCOは古い官庁のようなビルだったので、古くてほこりが多かった。③面接官が、日本の会社【富士通】をやめて中途ではいった人(今はトイザらスのCFO)で、自動車に比べるとPCはこれからですよと説明を受けて納得した。IT業界のことはあまり知りませんでした。

20年後の今から振り返ると、程度の差や時間差はあれど、ほとんど正解だったと思います。

◆インテルで何をしたのか?

今回、ざっと思い出して書いてみたのですが、日本を中心にアジアやUSでグローバルプロジェクトにかかわりながら、現場から戦略まで、幅広く仕事をしてきたなぁと思います。あまり、仕事に飽きることはなかった21年間でした。

▼つくば・US Finance

当時はJ5で、夜遅くまで働くときには、学園線のサウナ大学の泊まっている人がいました。ダニーパークという女性がコントローラーでいつもランチはアイスクリームでした。PORもエクセル1枚をOHPに焼いてテレコンです。それから、Rev.MAXなどはじまり、資料をFAXで八王子支店などに送りながら、だんだん忙しく(細かく?)なりました。コントローラーがフランス人だったときに、彼のお母さんからのフランス語の電話に出たのが気にいられ、彼がUSに帰った時について行って、USサンタクララの本部で、2年間営業マーケティング本部のファイナンスコントローラ補佐として、グローバル予算管理にたずさわりました。直属のマネージャーが二人やめたので、コントローラー直付けで年間予算やリストラ資料をつくることになり、説明の仕方の順序が悪かったようで、次期CEOから、Do not reformat my brain! と顔を赤くして怒られたのはいい思い出です。その当時のマネジメントは非常に激しい人が多かったです。

▼カスタマーオペレーショングループ」

USファイナンスではあまり目がでなかったので、日本にもどされて、CBOマネージャになりました。ここで泥臭い営業窓口となり、大学でたばかりの若い新人にかこまれて、金八先生のようでした。2000年問題などを無事に通過したころ、供給ショートが発生し、3カ月ぐらいすべてラインダウンと始末書対応になり、若者・中途採用者からもたくさんメンタル負傷者がでたのですが、代わりが全然こず、前線で孤立する隊長の気持ちがわかりました。先を読む本部長(今はCPUと同じくレシピが大事だということで、パン屋で成功していますが)が在庫を極限までもてという命令をまもり、半年分のコミットをkeepして、なんとかスワップでしのいでお客にも非常に感謝され、最後にはすべて完全に0になるまで使い切りました。

▼アジアeビジネスグループ B2B推進

その後、eビジネスが全盛になり、インテルもアジアでB2BツールであるRosettabetを実装しようと。シンガポールのガンガン上昇志向部長の下で働き、アジアのサプライヤーとカスタマーと、業界活動に携わり、初めて、IAA(インテルアチーブメントアワード、社長賞)を獲得しました。台湾でのイベント中に911の事件があり、なかなか日本にかえれなかったのが思い出されます。

▼コーポレートテクノロジーグループ 技術・標準推進

今度は、CTGグローバルチームの日本repになり、無線技術(UWB、ワイヤレスUSB)などの技術標準推進や、産学官連携、技術マーケティング、IDF(インテルデヴェロッパーフォーラム、予算1億円、来場者2千人)の企画・実行などをすごく自由におこないました。CTO同士の会議をセットするうちに、世の中には本当の天才がいるなあと会議の際に思えるほど、レベルが高い話し合いをそばでみました。

▼事業開発 デジタルヘルスとWIMAX

IDFから今度は、新しいいITソリューション(教育、デジタルヘルス、ブロードバンド等)マーケティングと、WiMAXなど。今度は、震災IT支援隊でインテルヒーローアワード(ボランティア活動世界一に授けられる、日本では初)を受け、サンフランの表彰式ではじめてスタンディングオベーションを受けました。ここらへんがハイライトで、大きなお花ももらい、WiMAXでもお金も一杯つかいました。https://plus.google.com/u/0/116655968784642517116/posts/eHuKVejiAVK?pid=6054022316927648354&oid=116655968784642517116

https://plus.google.com/u/0/116655968784642517116/videos?pid=6054024260159534242&oid=116655968784642517116

*Hero award video

▼サービス・ソフトウエア戦略

SW/Application/API/application/web storeのパートナーマーケティング、実装、新規開発で、Tizenにall inしてつぎ込みましたがみのりませんでした。

▼戦略企画室 現在IOTのアイデアソンや、スタートアップと起業家とネットワークなどから、新規事業、M&A等を計画しましたが成果でず。ここで終了。最後に「結局、事業をスケール成長させられなかった自分の責任」という力不足をズシリと感じました。

◆インテルで何を得たのか?

得たものは「知識」「ノウハウ」「能力」「機会」「経験」「人脈」「気付き」等。更に細かくすると、たくさんあり過ぎて切りなく出てきます。本当にありがとうございます。

その中でも「圧倒的な当事者意識」が一番に来ます。私の中では「WiMAX」というブランドをたちあげるのが一番の想い出です。あの瞬間は、この仕事をやれるのはユニークで、自分がやらねば。と強く思って取り組みました。その他にも上で書いた通り、何度も強い当事者意識を意識する場面がありました。「当事者意識」、その熱量が出せる"環境"こそがインテルでした。なんというか、そういうエネルギーを出ている人を応援・支援してくれる環境がインテルなんだと。だから、その当事者意識を発揮できたし、その経験が自信になって積み重なって「圧倒的な当事者意識」まで持ち上げることができたと思います。

先月、最後の上司の宗像さんと最後のサシ飲みに行きました。その場で「空気読まない力」について評価して頂きました。違う表現では「違和感を大切に」と理解しています。私は、周りの皆さんに受け止めて頂いたから、無邪気に「空気を読まず」インテルで21年を過ごせました。それが当事者意識に繋げられ、本当にありがたい原体験ができました。これは経験しないとやれないこと。逆に、一度経験しているから、もっと行けると高みを目指せられると考えます。そんな意味で、やっぱり「圧倒的な当事者意識」が、インテルから頂いた最大の財産だと思っています。

◆インテルをなぜ卒業するのか?

卒業後にどうするのか?というと、転職先については、然るべきタイミングで、また広報させて頂きます。一方で、なぜ卒業しようと考えたのか?の理由は書いておこうと思います。

1つ目は、インテルはKeep movingな方針を取っており、50代の人は殆どいません。私もその方針は正しいと思っています。しかし、その意味は、他の会社よりも、椅子取りゲームの椅子が少なくなる年が早いということです。そろそろ、活き活き働けていないかも?というのを避けたいと考え、であれば、まだ当分しっかり働けて、次に繋げられる環境に身を置きたいと考えました。最近、聞いた話では、私たちの世代は80歳まで働く必要があるらしく、そう考えるとまだ2クォーター中盤(本当か?)でしかないので、ゴールを感じている場合ではないと考えたのが理由です。早期退職に応募しようと考えました。

2つ目は、コーチングをきわめたいと考えました。最近の仕事においても、質問をなげかけることで、非常に自信と成果を出されるクライアントが増えたので、これをきわめて世界一の気づきを最短で最大に与えられるコーチになることを目指します。サイトも準備しました( http://www.kizukihack.com/ )。自分自身で「昔取った杵柄」的な違和感がして、55歳になって、45歳の仕事の成果を話すのか?と思い始めたのもキッカケです。その課題感をベースに、上記のWiMAXで顧客の事や提供価値や競争を考えていた時にパワーが溢れ出した経験をもう一度と思うWANTな気持ちと、55歳になって今後は新しい稼ぐ力がないと労働市場で生きていけないというSHOULDな気持ちが明確になってきました。勿論、インテルこそ新規事業が可能なのですが、アジアのポストは限定的なのと、上記のKeep movingで50代の自分に回ってくる可能性が高くないと見立てたのが理由です。

3つ目は、単純に退職金の上乗せです。早期退職というプログラムに合わせて、退職金が上乗せされる人事制度があるのですが、それが、今回適用され、私は、ちょうど、今年の1月末で75ルールという(在籍年数と年齢をたしたものが75以上)が適用されるのです。複数回転職している身としては、通常の退職金は期待できないので、頂けるならば頂いておきたいと考えたのが理由です。

4つ目は、卒業にはネガティブな理由が無いわけではありません。それは私が歳をとっても大人になりきれていない面もあるかもしれません。ただ、とにかく、快活というか元気で前向きで一生懸命な人ばかりのインテルが、いつも「Future of Intel starts from me」と言ってくれるIJKKが、何か違ってきたかも?と想ったのも理由です。

卒業生

◆最後に

私は、社会人として、30-50代という時間をインテルという会社で過ごせた事を、本当に誇りに思います。

優秀で、熱量があり、根が素直な人に囲まれて仕事ができたことは、私みたいなKYで荒削りな人間にとっては、本当ラッキーでした。本気で理不尽だったり性根が腐った人は(ほとんど)見たことがありませんでした。入社前に思っていた以上に、自分自身にフィットした会社でした。中途入社なのに古くからいる新卒プロパー社員だと誤解されることが多かったほど、水があった会社でした。私自身も、インテルの一員として、熱意を持って、素直であり続け、全てに真剣に取り組んできたつもりです。ムーアの法則のように、2年ごとに可能性をいつまでも2倍にできる人生をめざします。

21年間で、関わることができた皆さん、本当にありがとうございました。

引き続き、よろしくお願いします。

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