気づきのキャリア(62)元インテル役員が語る「インテル で学んだグローバルリーダーシップ論」:経営の巨人 アンディ・グローブ「パラノイアこそが生き残る」
2016年3月21日、半導体正解最大手のインテル は、元会長兼最高経営責任者(CEO)であるアンディ・グローブ氏が亡くなったと発表しました。グローブ氏は1968年にロバート・ノイス氏とゴードン・ムーア氏が創業したインテルに、3番目の社員として入社。その黄金時代を築き、その実績と強烈な個性でも知られています。
今回は、インテルに21年在社し、新規事業開発など幅広く15以上の職務を歴任された元インテル執行役員の板越正彦氏に、アンディ・グローブ氏についての回想をいただきました。
アンディ・グローブ。その質問力
アンディ・グローブが亡くなって、いろいろ取り上げられていますが、第1回・第2回で話さなかった他のエピソードも思い出しましたので、追悼編ということで書いてみます。
グローブは苦学して入ったフェアチャイルドを32歳で退社して、1968年のインテル創業から参加しています。42歳でCOOに就任した1979年から、CEOを退任する1998年までの20年間で、インテルの売上を約7億ドルから260億ドルへと約40倍に、利益を8千万ドルから60億ドルへと約80倍に増加させました。私が入社した1994年には、まだまだ血気盛んで(1997年から会長になり2005年に引退しましたが)、よく年初の全世界営業ミーティングでは、喝を入れるメッセージを話していました。その中でも、自分自身と組織の両方に、正しい質問を設定することにより、正解ではなく最適解へのスピードを上げていたことが記憶に残ります。
「我々がクビになって、取締役会が連れてくる新しいCEOは何をするだろう?」
これは、アンディ・グローブが、インテルの事業をメモリーからCPUに戦略的に舵を切るためにした一番有名な質問です。当時のインテルは、創業時の事業であるDRAMのシェアが、日本企業の低価格攻勢により、なんと80%から1%にまで落ち込みます。
その苦境の中、アンディ・グローブは、「このままでは価格と品質で負けてしまう。もし我々が、社外取締役の立場だったら、どういう決断をするだろう。一度、部屋の外に出て、取締役がなんと言うか真剣に考えてみよう。そこで、どうせ新しいCEOがやるのなら、私たちでやろう」と決心して、DRAM事業を撤退し、30%の人員をカットして、CPUに大きく戦略転換しました。 これまで投資してきた資源や成功体験、ホッケースティックのように売り上げがもどるかもという根拠のない期待が、決断のスピードを遅らせる場合が多いです。シャープの液晶などもこの例でしょう。しがらみのない、客観的視点をもつことが重要です。
しかし頭でわかっていても実行するのは非常にむずかしいのです。第3者の立場に立って、素直に自分たちに正しい質問ができるか?それが一番重要であることを教えてくれる事例です。
インテルのフェアな文化。全社員からの質問に率直に答える
インテルでは、「オープンフォーラム」という文化があり。4半期に一度は必ず、全従業員からの質問を受けてCEOはそれに答えます。事業部長や本部長も同様に自分の部下たちからの質問に答えます。その際は、どんな質問であってもみんなの前で毅然として答えなければなりません。「なぜ商品開発が遅れているの?」、「競合企業に負けているのでは?」、「新規事業はいつ目がでるのだ。」、「ストックは上がるのか?」などの質問をみんなから受けて、自分のわかる範囲で答えなければなりません。
これが非常にフェアで良い文化です。リーダーにとっても、短時間で理解してもらえるメッセージを作るという、頭の回転を速くする練習になります。どんな質問をしても、ひどい冗談や皮肉でない限り怒られません。「最近のA-ha(気づいたこと)は?」、「お子さんは元気?」、「あなたが新入社員の時どんなだった?」など軽い質問も相手によっては喜ばれます。
私も入社して初めて、日本にグローブが来た時に、記念にと思って質問しました。少し遅れて会場に入ったのですが、「日本の強みは何ですか?」という質問に、「冒頭で話したんだが、あなたは聞いていなかったな。」と言いながら、丁寧にまた説明してくれました。確か「技術と微細加工、品質、顧客」などだったと思います。かなり緊張しました。
同じようにムーアの法則の父であるゴードン・ムーアが来た時に(10年以上前です)、誰かが「日本の課題は?」と聞いた質問に、彼は「少子化」であるとズバッと即答しました。ムーアは、グローブと違ってすごく語調が柔らかく、優しそうなのですが、頭のキレはさすがです。非常に謙虚で、釣りが趣味なのですが、社員からの「どうやってあなたのような素晴らしいキャリアを作ればいいのですか?」という質問に、「その場その場でコツコツやればいい。私も大きな野望があったのではないんだ。それなのにここまでこれた。」と言っていました。本心なのでしょう。
失敗を認め、理由を明確に
私のインテルでの20年間で一番嬉しかったのも、やはり世界でも有数のスマートな人たちに直接質問できたことです。個人的にも、WiMAX事業の日本での責任者になり、インテルも通信に乗り出そうとして非常に大きな投資をしましたが、撤退しました。技術的には良い技術ですし、日本でもKDDIさんと一緒にうまく展開できたのですが、世界ではLTEに負けた為、4Gとして広がりませんでした。
その時のCEOに、「WiMAX事業で学んだことは何か?」と質問したことがあります。彼が答えたのは、「昔からの通信事業関係者とエコシステムの力を過小評価していた。我々は良い技術でさえあれば広がると思っていた。しかし、彼らはインドでのWiMAXの通信帯域を単に使えなくして、LTEを有利にするために2千億円の投資決断ができる。政治力を甘く見ていた。」
明解でした。WiFiも非常に早くPCに入れて、セントリーノとして売り出したのですが、早すぎてホットスポットが面になるほど追いつきませんでした。結局WiFiが広がったのは10年後、スマホのオフロードのためでした。皮肉ですが、技術だけでは、インフラとしては広がらないのです。
またVPやエグゼクティブなどが日本に来た時には、「あなたがこれまで一番きつかった客や事件はなんですか?」ということも聞けます。「事業はうまくいっていたのに、戦略的に頑張った人をリストラしなければならなかった。」、「会議に出て顧客から直接、それまで知らなかったクレームを聞いた。」など率直に話してくれます。
ある営業部長は、昼食会議で初めて会った気難しそうな顧客のトップから、「俺は何で今日インテルに会わなきゃならないのかわからないんだ。」と言われて、「私もわかりませんが、お腹は空いています。」と言って話してから、時間をかけて最良の顧客にしていったそうです。
あきらめるという手段はない(Giving up is not an option)
グローブは、自分が前立腺がんになった時も、ネットで前立腺ガンに関するフォーラム、手術や放射線治療、副作用、再発率、論文を分析し、事実を元に、複数の治療法を比較しました。そこで医療に対する造詣が深くなったので、この分野のIT化が遅れているのに気づき、インテルでもデジタルヘルス事業部を立ち上げることにしました。
私は、その立ち上げ会合で質問しました。「インテルは新規事業が下手だ。データセンターや、WEBサービスなど、将来性があっても我慢しないでやめる。しかし医療は一度始めると、その責任の重さから簡単にやめることはできない。大丈夫か?」と。その時、グローブは、「あきらめるという手段はない(Giving up is not an option)。なぜならこの分野のIT化は必ず起こる。」と答えました。
私はこの質問をした時に、隣の人から「お前は勇敢だ。(You are brave.)」と言われました。なるほど外国人でもグローブには言い難いのかと。
最終的には、次のCEOがヘルス事業はGEに売却するのですが、彼にも質問しました。「グローブがあきらめるという手段はないと言ったのになぜやめるんだと。」
彼は、「グローブも以前にメモリーをあきらめたじゃないか。」と答えました。
変化に気づき、転換する勇気。カサンドラの声を聞く
ギリシャ神話のトロイ王女カサンドラは呪いにより、予言の能力があるもののその言葉を誰も信じることができません。グローブは、著書の中で、「変化を予知できるカサンドラの声を聞くことが社内で必要だ」と言っています。変化に気づき、転換する勇気。他者に先駆け、あるいは追随して低価格や低消費電力商品の開発した際にも、この組織内のカサンドラが訴えるノイズかシグナルに反応して、次に何が起こるのかを理解しなければならない。それがパラノイア(偏執狂)であるべきリーダーだと説いています。
ビジョンを語るロバート・ノイス、新技術を極めるムーア、規律をもって確実に実行するグローブの三者が一体になって(トリニティ)、PCとCPUの市場が一気に広がりました。現在は PCよりもクラウドの時代になり、端末の価値は下がっていますが、グローブならどうしていたかという質問の解は、まだ見えていません。